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      <title>Pickup! 教育のヒント</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>まずは本との対話から！読書感想文の書き方</title>
         <description><![CDATA[わたしたちは、好きなものは頼まれなくても人に紹介します。
「これ食べてよ」
「この映画、面白いからさ」
「どこがいいの？」などと尋ねられたら、いつまでも語り続けます。

そして、好きなものと同じくらい、嫌いなものにも心を動かされます。
苦手な食べ物、苦手な感じの人などについては好き、と同じくらい語ります。

好きと嫌いという反応は、共通の衝動に基づいているという説もあります。
つまり、好きという表現をするか、嫌いという表現をするかだけの違いでおおもとは同じ、とする考え方です。

わたしは、好きなものや嫌いなものを紹介するときのワクワクした感覚で読書感想文を書いてほしい、と思っています。
そこで、好きな本と嫌いな本の２冊を用意してください、とお伝えしています。
嫌いな本はおそらく読んでいない、あるいは、読み終えていないと思います。それでいいのです。

<strong>手に取ったのは自分ですから、嫌いな本は好きになった本と同じような、あるいはそれ以上のエネルギーをもっているはずです。
ちょっとしたはずみで、ある部分が違っていれば好きな本になっているかもしれないのです。</strong>
そのことを「本と対話する」という活動で感じ取ってほしいのです。

「タイトルは気に入ってますか？」
「表紙のデザインはどうですか？」
「小見出しはどうですか？」
「厚さや文字の大きさはどうですか？」
質問に答えていってください。

「登場人物は誰に似ていますか？」
「作品に出でくる場所は気に入ってますか」
「最後のシーンは気に入っていますか？」
少し内容に関する対話もしてみましょう。
読んでいないときは、どうなっていたら読みたくなるのか、自分の希望を書きましょう。
そこがその方の『視点』です。

「この物語にはどんなテーマ曲をかけたいですか」
「この本を読み終えたらしたいことはなんですか」
「ドラマ化するなら誰を主人公にしたいですか」
「この本はどこで読みたい？誰にプレゼントしたい？」
「どんな色のイメージですか？においや音はしますか？」
ちょっと遊んでみましょう。イメージを膨らませてみましょう。

わたしたちは、手に取った時点で本と仲良くなりたくて、嫌いだとされる本ともなんとかして折り合いをつけたいのです。
こうして本と対話をしてから、この新しくできた友達を親しい仲間に紹介するように、感想文を書くのです。
本を「受け取るもの」とだけ考えると苦しくなります。わたしたちも本に何か与えているはずです。

時々わたしたちは、友達や家族、上司やパートナーに『こうあってほしい』と求めすぎてしまいます。自分の希望を押しつけてしまうこともあります。
そんなとき、わたしたちの間には対話が不足しています。
もしかすると、本も人も同じなのかもしれませんね。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">指導法</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 07 Aug 2008 19:40:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>旧五千円札の顔と言えば？日本文化を広めた国際人・新渡戸稲造</title>
         <description>＜８月３日生まれ＞
新渡戸稲造（にとべ いなぞう）1862〜1933
農政学者、教育者、思想家

新渡戸稲造は、現在の岩手県盛岡市で新渡戸十次郎の三男として生まれました。彼は幼名を稲之助といい、これは開拓の土地に初めて稲が実ったのを記念して名付けられたものです。

10歳にして上京、東京英語学校から一転、札幌農学校に転じました。
彼はここで「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士の教えを受け、博士に心酔して洗礼を受けキリスト教徒になっています。彼は、この札幌農学校で生涯を通じた合理主義・自由主義・国際人としての基礎を培ったといえます。

その後、明治16年東京帝国大学に入学。英文学、理財学、統計学を学びますが、その翌年、アメリカのジョン・ホプキンズ大学へ留学、更にドイツにも留学して農政学などを学びました。
また、米国留学中知り合ったフィラデルフィア出身のメリー・エルキンスとの結婚は、キリスト教フレンド派教徒であった新渡戸の信仰と思想の実践に決定的影響を与えたといわれています。

明治32年にカリフォルニアで静養中に書いた英文『BUSHIDO-THE SOUL OF JAPAN』は日本民族の道義と倫理の根本を実証し、この本ほど欧米の指導層・知識層に愛読され、版を重ねた書は現在もないと言われており、日本文化の海外への紹介に大いに貢献することになります。

帰国後、北海道の女子校北星学園の運営に関わり、同学園の命名者になった後、明治39年には第一高等学校の校長、大正７年には東京女子大初代学長を歴任しました。更に昭和３年には女子経済専門学校（現東京文化学園）の初代学長にも就任しました。
特に明治39年の東大教授と併任した旧制一高校長時代に特色を発揮し、当時の門下生から若き自由主義者の逸材を輩出しています。更に女性の教育においても多大な貢献をしています。

「われ大平洋の橋とならん」という言葉は彼の生涯のシンボルとして有名であり、西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へというのが彼の悲願でした。
思想家としても国際連盟事務次長としても、この悲願を実践しましたが、満州・上海両事変の突発は新渡戸の思想と実践に大きな苦悩を与え、昭和８年10月カナダのバンフで開催された太平洋会議に日本代表の委員長として出席しましたが、会議終了ののち病に倒れ、ビクトリアで客死しました。

これほど大きな活躍をした人がお札になるまで全く一般に知られていなかったというのは、非常に不思議なことです。
しかし、彼が活動した時代の日本は戦争への道をひた走っており、このような国際人の存在は当時の軍部にはあまり嬉しくなかったためではないかと思われます。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">歴史</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 07 Aug 2008 19:34:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>問題を解決できる子に育つ、５つの質問</title>
         <description><![CDATA[------------------------------------------------------------
＜今日の言葉＞

　　　　優れた質問は、知恵の半分といえる。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　フランシス・ベーコン
------------------------------------------------------------

昨日参加したセミナーの中で、質問の重要性についての話がありました。
講師の方の「問題を解決できるかどうかは、どんな質問をするかによって決まる」という言葉を聞いて、思い出したのが今日の言葉です。

自分の頭に浮かぶ「質問」を列挙してみたら、「なんでうまくいかないのかな〜？」とか、「どうしてこの人は、こうしてくれないんだろう？」とか、問題解決のための質問とはいえないようなものが、ずらーっと並んでしまいそうです。
アンソニー・ロビンズも著書の中で、「役立つ答えの出てくる質問をする」ことが大切だと語っています。

さらに、アンソニー・ロビンズは、「問題解決のためのクエスチョン」を５つ挙げています。

<strong>
１　この問題の「すばらしい点」は何だろう？</strong>
<strong>
２　まだ「完全でない点」は何だろう？？</strong>
<strong>
３　望むような解決のために、進んでしようと思うことは何だろう？？</strong>
<strong>
４　望むような解決のために、進んでやめようと思うことは何だろう？</strong>
<strong>
５　望むような解決のために必要なことをして、</strong>
　　<strong>しかもそのプロセスを楽しむには、どうすればいいだろう？？</strong>
　　　　　　　　　　　　　　アンソニー・ロビンズ「人生を変えた贈り物」より

あなたは、解決したい問題のために、どんな「質問」をしますか？]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">指導法</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 07 Aug 2008 19:21:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>子どものやる気を台無しにする親の一言</title>
         <description><![CDATA[今回は“やる気を下げる言葉”について。
以下は、中学３年生のアンケートによる“やる気をなくす言葉”トップ10です。

１．全くあんたはダメね〜。
２．いつもあなたは、こうなんだから仕方ないね〜。
３．どうせ、あんたが努力したって、たいしたことないでしょうよ。
４．やる気になったのは嬉しいけれど、いつまで続くかな？
５．あんたなんかに、できっこないと思うよ。
６．こんな成績じゃ、お前の将来は真っ暗だね。社会の中で生きていけないよ。
７．今の時期には、３時間勉強するのが当たり前だよ。
８．さっさと勉強しなさい！本当にのろまなんだから。
９．あんな成績の悪い人と付き合ってたら、あんたもダメになるよ。
10．本人よりも成績のよい子どもに温かく接したり、言葉かけを多くしたりする態度を目の当たりにした時。
※10．は言葉ではなく、態度です

子どもは、「勉強するのが少しめんどうくさいな」という気持ちを何度もしっかりと受け止めてもらうと、「勉強をするしないに関わらず、お母さんは僕（私）を好きでいてくれる」と安心と信頼感をもつことができます。

<strong>子どもは勉強するかどうか、自分で選ぶ自由をもっています。</strong>
<strong>子どもは勉強してもいいし、しなくてもいいんです。</strong>

もちろん、どの子どもも「勉強する」という選択肢を選ぶとは思うのですが。
プライバシーはまだ中学生の子どもにも、あります。

「もう少し、くつろいでいたい」という気持ちに立ち入って勉強するように命令することは、子どもが自分の気持ちを感じている心の領域に踏み込むことになります。
このような細かいことをプライバシーの侵害と考えるのは少し行き過ぎの感がありますが、そういう見方もできる、ということです。

親子の会話を法律の切り口で語ると大げさですね。
とは言うものの、人権の問題として重くとらえることで、子どものやる気を下げてしまう口癖も直せたりするんです。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">親</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 31 Jul 2008 19:02:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>勉強がはかどる４つのポイント</title>
         <description>１．長い夏休み、同学力のライバルがいると成績は急上昇します。

長い夏休みの間に同学力のライバルと競い合って勉強すれば、成績は急上昇します。
競争がいいのか悪いのかは別として、１人でコツコツ勉強するより２人で勉強するほうが、やる気も出て勉強も２倍はかどります。さらに同学力の２人が競争すれば、成績は３倍にも上昇するでしょう。

こういう実験結果がありました。１人に教室で計算するように言います。
そしてそこへ見知らぬ人を１人入れると、やる気が出て１人のときの２倍の計算をこなすようになるのです。
そしてさらに同学力の２人に競争してやるように支持すると、１人のときの３倍の量がこなせるようになります。

つまり人は１人のときより、人がいるときのほうが競争意識がでて、集中するようになります。そしてさらに同学力の人と競争すれば、それは１人のときの３倍の効果を発揮するのです。
成績を伸ばしたければ学力の離れている人ではなく、同学力の人と競い合うことです。


２． 夏休み、１人ではやれない学習も、グループなら楽しくやれます。

人はみんながすることに同調する性質があります。みんなと同じ行動をしたくなるものです。
また集団圧力といったものがあり、この圧力によって人の行動は簡単に変わってしまいます。１人ではやれない学習も、この同調性と集団圧力をうまく利用すれば、勉強が大いにはかどります。

たしかにグループでわいわい学習すると楽しいけれど、勉強がいっこうに進まないという人もいるでしょう。しかしそれはやり方が悪いのです。
勉強するのですから、やはりあらかじめノルマを決めるのがよいでしょう。グループに異性は厳禁です。そしてお互いに質問しあったりすることで、楽しく勉強を進めることができるでしょう。

どうも気が乗らない。勉強するのもつまらない。そう思っている人は集団圧力の力を借りてグループ学習すれば、勉強が楽しく進められます。
ただし学力が離れている人たちと同じグループ学習するのはやめましょう。やる気がかえってなくなります。
グループ学習するときは、同じ学力レベルの人たちとグループを組むようにしましょう。そうすれば長い夏休みもうまく乗り切れるのではないでしょうか。


３． 苦手な科目の勉強法にはコツがあります。

この夏休みに苦手な科目だけは何とかしたいと思っている人もいるでしょう。苦手科目の勉強は夏休みのような時間的余裕があるときには、作業制限法でいくと効果が上がります。

得意な科目は時間が気にならず、長時間勉強を続けられます。それに対して苦手な科目は時間は気になるし、少しやっただけでイヤになってしまいます。
しかしこのまま放っておくわけにはいきません。ますますイヤになってしまいます。

ふだん学校に通っているときなら、苦手な科目は時間制限で、得意な科目をやる前に一定時間を決め学習すると能率が上がります。
ところが夏休みのような長い時間があるときは、時間制限ではなく作業制限で学習するほうが効果が上がるのです。

作業制限法とは、苦手な科目の基本問題集を１冊仕上げるようなことを言います。
そのときは１冊をさらに細分化して、細分化したところをひとつひとつ達成させていくとよいでしょう。細分化したほうが、やる気が増すのです。

さらに適当に休憩を入れたり、ほかの科目に切り替えたり、変化を加えていくと飽きずに目標達成が容易になります。一度試してみてください。


４． 勉強は浮気の学習で効果倍増！

１科目に集中して長時間学習するより、何科目かをとっかえひっかえ勉強するほうが、飽きもこなくて実りも大きいものです。これを浮気の学習といいます。

苦手な科目を克服したい一念で、１科目集中特訓をしようとしがちです。心がけとしてはすばらしい。しかしそれは長続きしないものです。人の心は一般に、変化があるときに興味や関心がうまれます。
苦手な科目なら、最後まで残らないように最初に学習するとか、得意な科目と得意な科目の間にいれ、サンドイッチ型で学習したりします。そのタイミングは勉強が飽きる頃に科目をかえるのです。そうすればまた新たにやる気が起こってきます。

勉強するにしても丸一日やりづめでは、飽きてきてかえって能率が下がります。
そういう時は寝転がったり、体を動かしたり、だべったりすることで、適度に変化をつけるようにしましょう。
長時間勉強に取り組まなければならないときは、特に変化をつけるようにすると勉強ははかどります。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">学習法</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 31 Jul 2008 18:55:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>“やったつもり”で終わらない！夏休みの学習計画</title>
         <description><![CDATA[夏休みといえば、「学習計画」を立てる！これ定番。
計画といえば、１日のスケジュール表が頭に思い浮かびます。
頭ひねって、「やっぱり勉強は涼しい午前中だよなあ」とか環境に思いをはせたり、普段は使いもしない想像力を働かせて、計画表を作るのにけっこう時間をかけたり。
小学生は色塗ったりしてね。
７時に起床、10時〜12時は勉強、テレビの時間はこれだけ、食事はこの時間！とやってみると妙に盛り上がります。

しかし、いざ夏休みが始まるとまったく計画通りにいかない。親が仕事でいなかったりすると、10時から勉強の予定が、初日から「自由時間」に変わっていたり。
昨年そうだった人は、今年も間違いなくそうなるハズ。

子どもが日々の学習スケジュールを立てていたら、賭けたらいいですね。「これを守ったら、フェラーリを買ってやる！」とか「風船で空を飛んでやる！」とか。
だって、絶対勝てるから。＼(ΘoΘ)ノ
ということは、子どもがスケジュールを守っていないのを怒るとすれば、夏休み中ずーっと怒鳴り続けることに。怒るとわかっていながら、また作る？

けど、中にはいますぞ。スケジュールを守れる子どもも。
それは成績の良し悪しじゃなくて、まあ、なんというか性格。もしお子さんが、ちゃーーんと計画を守って、成績がイイのなら文句なしです。そのまま続行。

でも、時間は守っているけど、成績が…って方は、勉強のやり方に問題ありですぞ。
じゃあ、「成績がイイ子」はどうなのか？
「やっぱり、成績がイイ子は計画通りにできるんだろうな〜」ですって？

私の経験からお話しすれば、<strong>成績がイイ子は、１日の学習スケジュールをつくらない！</strong>

…（￣ ￣）。つくらないとは、どういうことか？
もちろん学校などに提出する場合には、適当につくっているみたいですが、そのスケジュールに沿って勉強をしたりはしないようです。
なぜなら、スケジュールって日々変わるから、時間をかけて先のことまで予定を立てないわけです。
決めるのは、前日か当日。しかも、昨日までの進み具合を見計らって親が決めるわけ。
「今日は、算数をこの単元まで終わらせよう」ってな具合にね。

実行しない計画を立てるのは時間の無駄だけど、予定が変更することがわかっているのに、先の計画を立てるのも時間の無駄。
だから、優先順位を決めといて、上位のものから片付けていく。時間でなく、内容で計画を立てるわけ。
それを私は「ノルマ制の学習計画」と呼んでいます。

ちなみに、これまでの常識である「何時から何時まではこれをやる」と計画するのは、「時間制の学習計画」。

<strong>ノルマ制の学習計画とは、自分にノルマを課す学習計画</strong>。
ノルマなんていうと、厳しい営業マンを想像したりしてイヤな響きですが、どうせ計画立てるのならこれがオススメです。
ノルマ制ですから「この問題集を１冊仕上げる！？」なんてことをすると、見ただけでも辛そうだし、子どももゲップしてしまう。

そうじゃないんです。ここでいうノルマとは、<strong>克服すべき単元をその必要性（弱点度）の高いものから10コ挙げる</strong>だけ！！！
もちろん、何を選ぶかがポイントになってきます。いいですか！欲張らず10コだけですよ。]]></description>
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         <pubDate>Thu, 31 Jul 2008 18:47:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>単純で退屈な練習を楽しくするには？</title>
         <description>継続は力、とよく言いますね。
でもねぇ…。続けるということは、しんどいことなのです。それは誰でも同じでしょう。
好きだから続けることができる。
目標があるから続けることができる。
そういうことも言いますが、『続ける』ことの裏側には、『頑張る』ということがあるのです。

『頑張る』とは忍耐とか努力とか、そういう意味が含まれています。好きだから努力できる、目標があるから忍耐も可能。
たしかに、そうかもしれません。でもねぇ、好きで始めたことでも嫌になることもありますし…。

さて、ピアノをやめたいと言い出す場合、『練習するのが嫌だから』というのは、今も昔も最も多い理由だと思われます。
他の習い事との兼ね合いや勉強が大変になったという理由ももちろんありますが、「ピアノを練習する時間がとれなくなった」という言葉の裏側には、「練習しなくてもいい習い事なら続けられるんだけど…」という匂いがぷんぷんします。

確かに、スイミングやお習字などであれば、毎日家で練習しなくても上達に大きな影響を及ぼすことはないかもしれません。
しかしピアノは、やはりたとえわずかであっても、毎日練習したほうがいい。これがネックになるのですよね。

この春にピアノをやめた、小学生の男子生徒。とにかく練習が嫌い。彼は今、テニスに興味があるらしい。ずっと以前は野球で、その次はサッカーだった。テニスはご家族で楽しめるとかで、彼も楽しんでいる様子。
このような、娯楽である場合であれば、努力というほどのことをしなくても、それなりに楽しめます。
でも、もししばらく続けていて「もっと上手になりたいなぁ」と思ったとしたら、そこからはやはり『努力』というものをしなくてはならなくなります。
彼の場合、サッカー選手になりたいとレッスン中に言ったことがありましたが、「サッカー選手になりたいならね…」と私が筋トレやその他、スポーツ選手としてしなければならないことをほんの少し紹介すると、「え〜っ！うっそだぁ！そんなこと。めんどくせ〜」と言いました。

私はもしかしたら彼の夢を壊したのかもしれませんが（許しておくれ）…。彼はきっと、サッカーを始めたら明日からでも試合に出ることができる、と思っていたのでしょうね。
「サッカーなら、練習しなくていいと思ったのに」とも言っていましたからね。
この言葉に、いろいろなことが集約されていることを私は感じたのです。

少し話は飛びますが、ある程度の年齢になった大人であれば誰でも、いくつかの『三日坊主』体験があると思います。
たとえば、『語学学習』『楽器の習得』『資格取得のための勉強』というものから、『ダイエット』『禁煙』『健康のためのジョギング』などなど。

それが切羽詰っていなければいないほど、『三日坊主』はすぐ隣でささやきます。
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃないの？」

物事の習得は、自分のイメージするレベルまで達するためにはある程度の時間と努力が必要であることは、誰でも理解しているのです。
しかし、その過程において『単純で退屈な』時間があるということに気づいている人は、実は少なかったりするのです。
そしてさらに、その『単純で退屈な』時間が、想像以上に長く続いたり、予想をはるかに超えた退屈さだったりということに、今さらながら気づいたりすることもまた、少なくないのです。

英会話を習得するためには、『英単語』を覚えなければなりません。単語を知らないのに会話はできませんからね。

野球をしたいなら、『素振り』をしなければなりません。
いきなりバッターボックスに立ったところで、毎回バットがボールにジャストミートするなど、まずありませんしね。
素振りをするときも、きちんと『考えながら』することも大切です。何も考えずにバットをぶん回していても、ほとんど何の意味もありません。
特にスポーツの場合は『イメージトレーニング』が大切だと言われていますし、バットを振るときにリズムやタイミングを意識するのとしないのとでは、同じように続けていたとしても結果が違ってきます。

ピアノの練習も、はっきり言って『単純で退屈なこと』の繰り返しです。
音符を読む、地味ですよねぇ。
できないフレーズを何度も練習する、これも楽しいものではありませんよねぇ。
レッスンに行くと先生にダメ出しされる、あれだけ頑張ったのに、と思いますねぇ。
でもピアノだけではなく、物事の上達の過程には必ずといっていいほど、『単純で退屈な』時間はあるのです。その量や質は別問題として。

では、その『単純で退屈な』時間を楽しくする方法はないのでしょうか。
楽しさは人それぞれですから、その方法は一つではありませんが、少し役立つかもしれないということをご紹介します。
『やるべきことを絞り込む』ことです。たくさんの課題があっても、必ず一つずつに絞り込み、一つ一つをクリアしていくようにします。
そしてさらに、そのハードルをやや低めに設定することです。低めに、というのは、たとえばこういうことです。

『３日あれば習得できると思われる項目』を考え、まずそれをクリアするようにするのです。
『１小節を、絶対にミスタッチなしに弾く』とか、『１フレーズだけ、絶対に手を見ないで弾く』とか。右手だけ限定、というのでも構いません。

質的に低い目標にするのではなく、量的に低い目標にするのです。
そして、『やればできる』ことを脳に覚えこませるのです。これ、意外に効果的です。

とっても小さなことだ、と思うようなことでもいいのです。
「こんなことを目標にするなんて」ということでもいいのです。
『続ける』ことが目的なのですから、その目的に向かうための目標は、最初は小さくてもなんでもいいのです。
小さな目標の達成を『積み重ねる』ことが大切だからです。

たくさんの『小さな目標』の『積み重ね』は、いつかきっとあなたを、あなたがイメージする『その世界』に近付けてくれます。
『単純で退屈なこと』を『続ける』のは本当にしんどいことです。
『千里の道も一歩から』というと気が遠くなるかもしれませんが、単純で退屈なことだから短時間でクリアできる目標を作り、続け、積み重ねていきましょう。
気づかないうちに、あなたの後ろには道ができていますよ。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">習い事</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 24 Jul 2008 20:15:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「勉強って楽しい！」と感じさせる方法</title>
         <description><![CDATA[子どもは誰だって“頑張る”という能力は持っています。
勉強も遊びも、現在という時間を全力で使うということにかけては、大人よりも達人といえるのかもしれません。

でも、子どもが先生や親、友人などに「頑張れ」と励まされて頑張るということは、それほどないのではないでしょうか。
おそらく勉強も運動も遊びも、「おもしろい」「楽しい」と自分自身が感じたとき、時間を忘れてそのことに「熱中する」とき、周囲からみると「頑張っている」ということになるのではないでしょうか。

それでは、勉強が「おもしろい」「楽しい」と感じるのは、どのようなときでしょうか？

・今までできなかった問題が解けたとき
・テストで100点をとったとき
・問題を解くスピードが上がったとき

などということもあるでしょう。
こうした自分自身の達成感でやる気になるような子であれば、おそらく、その子は「勉強ができる子」であるはずです。
そうでない場合は、やはりまわりの人の「言葉や態度」でやる気になるのではないでしょうか。

先生からの「△△さん、よくできたね」というほめる言葉。
同級生からの「△△さんって、すごーい」という尊敬のまなざし。
親からの「よく頑張ったね」という愛情ある言葉。

こうしたまわりの人からのちょっとした言葉や態度が子どものやる気を左右し、結果として勉強がおもしろい、楽しいと感じるようになる場合が多いのではないでしょうか。
一見、他力本願的な動機づけですが、特に、普段ほめられたことのない子どもにとってはその効果は絶大であるといえます。

<h3>「よい評価」ではなく、「よいフィードバック」を</h3>

ただし、こうした言葉や態度は、「子どもへの評価」であってはいけません。

原則１　子どもはそもそも未熟である。
原則２　子どもは将来への無限の可能性をもっている。
原則３　勉強の主役はあくまでも子どもである。

という３つの原則にたてば、「よいフィードバック」を示すことが大事であると考えます。

それでは、よいフィードバックとはどういうものでしょうか？子どもの行動が良かった場合とまずかった場合に分けて、

○良かった場合　→子どもをさらにやる気にさせること
○まずかった場合→子どもが自分の行動をきちんと反省すること

まず、良かった場合はこんな感じでどうでしょうか。
=============================================================
○感じたことを感情を込めて表現する。
・こんなにできるなんて、すごいねえ
・これまでがんばった成果が出てきたんだね

○パーフェクトでなくても前回より成長したことにフォーカスする。
・今までできなかったところが、できるようになったね。
・少しずつ良くなってきているね。勉強するコツがわかってきたようだね。
=============================================================

「子どもの勉強」についてのフィードバックですから、ここでは「お母さん、うれしいわ」というような表現は避けるべきと考えます。
なぜなら「原則３　勉強の主役はあくまでも子どもである」ことから、子ども自身がどうだったかを表現すべきであるためです。
なお、「お母さん、うれしいわ」という表現は、家のお手伝いをしてもらったときなどに使うとよいでしょう。

次に、まずかった場合は
=============================================================
○子ども自身に結果を自分のこととして受け止めさせる。
・うまくできなかったことは残念だったね。
・うまくできなかったことはきちんと受け止めなきゃいけないよね。

○次につながる反省をうながす。
・何か見直さなきゃならないことがあると思うけど。どんなことだろう？
・うまくできるようにするにはどうしたらいいと思う？一緒に考えてみようか。
=============================================================

「原則３　勉強の主役はあくまでも子どもである」に従って、まずかったという結果をきちんと受け止め、反省して、改善していくというステップを子ども自身が主体的に考えるように導いていくことが親の役目ではないでしょうか。

肝心なことは、親は先生のように評価をするのではなく、子どもの気持ちを代弁したり、子どもの立場で話しをすることであると考えます。
特にうまくいかなかった場合は、子ども自身も心の中ではわかっているはずですから、まずはその事実を事実としてきちんと受け入れることができるようにお手伝いすることが大事なのだと思います。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">指導法</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 24 Jul 2008 19:50:22 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>子どもを伸ばす先生の見分け方</title>
         <description>子どもは、塾と学校の先生をある程度、区別しているようです。「塾の先生は勉強を教える先生だ」との認識を持っています。
しかし、先生の人間性にも敏感に反応し、信頼できる大人かどうかを瞬時に判断します。

それ以外に、教え方がわかりやすいか、間違ったことを教えていないかということも考え、信頼できる先生かどうかを判断しています。
信頼できない先生の授業は、全く頭に残りません。最悪の場合、学級崩壊のような現象が塾でも見られます。

「授業を聞いてもわからない」
「先生が言っていることが正しいかどうか信用できない」
勉強しに来ているのに、先生の言うことに疑いを持つなら、自信を持って科目の学習を習得することは不可能です。

それが理数系なら、なおさら、その科目が嫌いになります。逆に、信頼できる先生がおもしろく教えれば、苦手科目であっても少なくとも興味は持ちます。
そんな経験、あなたにもありませんか。
わからなかったけど、好きだった教科。
全然わからなくて、嫌いだった教科。

好きだった先生や、嫌いだった先生を思い出しませんか。
どんな先生が教えるかというのは、大事なポイントなのです。

私が生徒に教えるときに、注意していることが３つあります。
1．矛盾していることは言わない。
2．間違ったことを言ったときは必ず謝る。
3．知らないことは、知らないと言う。

１つ目は、人間同士の信頼関係を結ぶために必要最低限のものです。矛盾を感じさせてしまう危険性がある指導は避けています。
たとえば、宿題を忘れたときはどうするか、ルール化しています。

授業前に申告すれば、注意程度で済む。
何回も続けば、授業前でも怒られる。
授業中に申告すると、怒られる。

そして、怒る程度は人によって変えたりはしません。あの子には甘いとか、厳しいとか、差別だと感じられるとそれこそ信用はなくなります。

２つ目は、授業中に正しいことを言ったつもりでも子どもに誤解を与えてしまったり、あとで考えたら間違ったことを言っていたという場合です。
「この前先生はこう言ってたけど、こうじゃないんですか？」と生徒から指摘されたとき、言い訳をする先生は少なくありません。
「こう言ったじゃないか。授業ちゃんと聞いてた？」なんて言う先生は最悪です。

誤解を生んだなら、再び説明し、言葉足らずだったことを謝る。間違ったことを言ったなら、全員に訂正して謝る。
こうして、子どもたちが自信を持って学習できるように意識しています。

そして、３つ目の「知らないことは、知らないと言う」というのは一見、無責任のように思えますよね。実は、半分は無責任です。
現代の最先端科学で説明できるのかどうかわからないような質問や、大学などで専門的に勉強していないとわからないような質問なら、「最近はわかっていることなのかもしれないけど、難しいことだから先生も答えることができない」などと言います。
あとから調べて説明できることは、次の授業で説明します。

他にも、たとえば小学生がよく知っている昆虫。
授業中に「こんな虫いるんだよー。先生、知ってる？」と私の知らない虫などについて聞かれた場合は、一通り、その生徒から説明をしてもらいます。
あとから、生徒が言っていることが正しいかを調べます。生徒全員が聞いているわけですから、もし間違っていたら困ります。
もう一度、他の生徒にも向けて説明することで、正しい新たな知識を確実に増やすことができるのです。

もう１つ、学習に有効なことは、それらを生徒に調べさせることです。

「他にもこんな虫っているのかな？今度までみんなで調べて来よう」
と全員に言うことで、調べ学習を自然とさせることもできます。
もちろん、次の授業ではそれらを発表させたり、私自身もいろいろ調べて生徒に伝えます。

これら３つのことができている先生は、なかなかいないのが現状です。
もし子どもが、「あの先生は授業で何を言っているのかわからない」と言ったときは要注意です。
つじつまが合わないことをしている、または言っているから、先生が何を考えて行動・発言しているのかわからないのです。

子どもを伸ばすためには、よい塾の先生からよい教育を受け、自信を持って勉強をさせていくことです。
一度、塾の先生について子どもに聞いてみてください。

ちなみに上記の３つの方法は、ご家庭でも、子どもの学習や指導に利用できることだと思います。
学習について、そして人間として、子どもを伸ばしていくヒントです。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 24 Jul 2008 19:45:34 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>「命を粗末にしてはいけない」という言葉は心に響くか</title>
         <description>「自殺なんて一度たりとも考えたことがない」という人にはピンとこないかもしれませんが、この世には、『生きて存在すること』にまったく意味を見出せず、苦しみぬいた挙げ句に、プツンと糸が切れたように死んでしまう人がたくさんいます。
それは「弱いから」でもなく、「自堕落だから」でもない。生きていることが、苦しいから。
言い換えれば、誰にも愛されず必要ともされず、一番身近な人間からも見放されて、心の拠り所をなくしてしまった人間の『ついに力尽きた姿』なのです。

かといって、「死にたい」と口にする人が、右手にロープ、左手にカミソリを持って、今すぐ本気で死ぬつもりで言っているか―といえば、必ずしもそうではありません。
「死にたい」という言葉は、一つの表現句。
つもりつもった苦しみや、行き場のない思いを「死にたい」という言葉に託して語っているケースが大半ではないかと思います。
人が「死にたい」という時、それは「死ぬほどの苦しみをわかって下さい」というＳＯＳであると同時に、明日を生き抜く力を求めている瞬間でもあるのです。

だから子どもに限らず、大人でも、誰かが「死にたい」と言ってきたら、「そうか」とまずは受けとめてあげて下さい。
驚かないで下さい。
逃げないで下さい。
茶化さないで下さい。

「死の願望」は「生きたい」という気持ちでもあります。
人がそれを口にする時、「死ぬ方法」ではなく、「明日を生きぬく力」を探しているのだということを、まずは理解してあげて下さい。

次に、その人が勇気をもって打ち明たことを褒めてあげて下さい。
「打ち明けてくれて、ありがとう。とても勇気がいったでしょう」
「よく言葉にして言ってくれた。本当にありがとう」

なぜかと言えば、それを人に告白するのは、大変勇気がいるからです。
ネットの掲示板のように、どこの誰かもわからない匿名で告白するのと違い、現実の人間関係においてそれを口にするには、打ち明ける方も多大なリスクを覚悟しなければなりません。
もしかしたら、笑われ、軽蔑されるかもしれない。
親友だと思っていた相手に、冷たく突き放されるかもしれない。
その為に、今以上に絶望的な気持ちになるかもしれないのです。

にもかかわらず、あなたという人を選んで、打ち明けてくれた。
その勇気にまずはエールを送ってあげてほしいと思います。それは、その人にまだまだ「問題を解決する能力がある」という証だからです。
今、死ぬほど苦しんでいるにもかかわらず、死にたい気持ちをカミングアウトできたその強さにこそ、まわりは希望をもつべきだと思います。

それから後は、ひたすら聞き役に徹すること。間違っても、説教しないこと。
たとえば…

「命を粗末にしたらダメだ。頑張って生きないと」
　　　↓
命を粗末にしたのは、本人ではありません。その人を粗末に扱ってきた人間がいるから、本人も粗末なもののように思い込むのです。
がんばって生きられるのなら、誰も「死にたい」などと思いません。がんばり続けて、今にも力尽きそうだから「死にたい」と思うのです。

「この世には生きたくても生きられない人がいっぱいいるんだぞ」
　　　↓
『肉体の死』も『心の死』も重さは同じだと思います。
死ぬほど苦しんでいる人は、心がすでに死にかかっています。「心で生きたくても生きられない人」にも苦しみを叫ぶ権利はあります。

「みんな辛くても頑張って生きているのに。甘えるんじゃない」
　　　↓
努力するにはある程度、心の健やかさが必要です。上記の言葉は、40度の高熱を出している人に「お前もこの山道を登れ、みんな努力して歩いているじゃないか」と言っているのも同じです。
「死にたい」と思っている人の心は、高熱で死にかかっている病人と同じです。まずは熱を下げて、健康な状態に戻すのが先決です。

たしかに、相手の話を聞いていると「この人にも非があるのではないか」と思うようなことがあるかもしれません。
そういう時、「その考え方はおかしいんじゃない。もっと気持ちを明るく持たないと」なんて、説教したくなることもあるでしょう。
でも、それは言ったらダメなんだと思います。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Jul 2008 19:58:34 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>「こんな勉強、役に立つの？」にどう答えるか</title>
         <description>「先生、英語なんて将来役に立つの？外国なんて行く気ないし」
「先生、数学なんて将来役に立つの？計算だけできればいいんじゃないの？」
「先生、理科なんて将来役に立つの？日常生活に関係ないし」
「先生、社会なんて将来役に立つの？そんなに昔のこと知ったって、しょうがないじゃん」

このように、別々の生徒がいろんな科目について『役に立たない』説を私に押し付けてきます。
面白いのは、国語はあまり言われないんですね。「やっぱり日本語は必要だから」とでも思うのでしょうか？

しかしまあ、これらの意見にあまり真剣に付き合う気がしない、というのが私の本音です。
もちろん言い分は聞きますが、だからと言って真正面から「いいか。これからは国際化社会だから、英語は絶対に必要になるんだぞ」みたいなことを言っても、あまり意味がないと思うからです。

だって、たいていの生徒は本気でそう思って言っているわけではないからです。
「役に立たない」からやりたくないんじゃなくて、やりたくないから「役に立たない」と思い込もうとしているだけなんです。

かなり乱暴に図式化すると、
その科目が苦手→やりたくない→「役に立たない」と思いたい
ということなんです。
もちろん、100％全員が、ということはないですけど、だいたいがそうです。
なぜそんなことが言い切れるかと言うと、そういう生徒に『役に立つ例』をあげたとしても、あまり真剣に聞いてないからです。
そんな話は聞きたくなかった、みたいな顔をするからです（笑）。

しかも、一方ではとても現実的で、「とか言ってもやらないわけにはいかないんだよな。受験もあるし」というような諦念も持っています。
ただ、そんなことを言って「憂さを晴らしてみたい」というのが、私の受ける印象です。

このような生徒に対してなんと答えるべきか。悩むところではありますが、私は最近、次のように言っています。
「役に立つか、立たないかは、これからの君次第だ。どんな職業に就くかにもよるし」
もっとつっこんだことも言えるけれど、先ほども書いたようにあまり真剣に聞く気はないようなので、言いません。
実際、役に立つ・役に立たないというのはいろんなレベルがあるので、自分の過去の学習を振り返って「これは役に立った」「あれは役に立たなかった」なんて、言い切ることはできませんし。

情報、という意味では、「どんな勉強だって役に立つ可能性がある。なぜならそれがヒントになって、人生が変わるような劇的なアイデアが生まれるかもしれないから」と私個人としては本気で思っていますが、そんなデッカイ話をしてもねー（笑）。ま、聞いてくれるんなら、いくらでもしますが…。

「勉強なんて、役に立たないじゃん」という言葉に、もしあなたが指導者なら、どんなふうに答えますか？
「これが正解」というものはもちろん存在しませんが、自分なりの答えを持っている必要があるのではないか、と思います。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">指導法</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 17 Jul 2008 19:53:58 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>子どもとの信頼関係を築くポイント</title>
         <description>私自身も以前はそうだったのですが、「子どもに対しては親としての威厳を保っていなければいけない」という気持ちを持っている方は多いと思います。
子どもに弱みを見せるわけにはいかない、親は子どもにとって完璧でなくてはいけない、という考え方です。
ですが、よく考えてみると、そのような考え方でいるとどうしても子どもに対して命令口調になってしまったり、「親は絶対に正しいのだから、子どもは親の言うことを聞かなければいけない」という考えに凝り固まってしまうようになります。

『親の意見とナスビの花は、万に一つも無駄がない』ということわざがありますが、これは「親は絶対に間違ったことは言わない」といった意味ではなく「親が子どもに意見を言う時というのは、子どもをおとしいれたり不利になるような意見を言うはずはなく、常に子どものために“良かれと思って”意見を言うものだ」といった意味だと私は考えています。
あくまでも、親は全面的に子どもの味方であるということですね。

ですが、親だって人間ですし、間違うことだってあります。
自分のことを考えてみてほしいのですが、子どものためによかれと思って意見したことが、結果的に間違いであったということもあるでしょう。
あるいは、間違ってしまったことを正当化してしまうような態度（逆ギレ？）をとってしまった経験もあるでしょう。
「親は子どもにとって完璧でなくてはいけない」といった考えがあると、どうしてもそうなってしまいます。

問題は、子どもがそれをどう受け取るかと言うことなのですが、人間として一番正しい態度を子どもに示すのならば、間違ったときはそれを素直に認めて謝る、ということですよね。
そのうえで、子どものことを心から思って言ったことだと、子どもにわかってもらう必要があります。

間違いを素直に認めて謝るという行為が自然にできるためには、日頃から頭を柔らかく保っていることが大事ですが、普段から子どもにそのような柔軟な接し方をしていれば、子どもは「自分のためと思って言ってくれたんだ」ということを自然に理解してくれるものです。
親が間違っていたことを強引に正当化し、「お前のためを思って言ったんだ！」と逆ギレしたら、子どもは「本当に自分のためにと思っているのか」と疑問に感じてしまいます。

これは親子の関係だけでなく、人間関係全てに言えることです。
人に信頼してもらうためには完璧である必要はなく、間違ったときには「間違った」と素直に認めて謝ることのできる人が、本当に信頼してもらえる人だということです。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">親</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 17 Jul 2008 19:50:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>好奇心と感性を養う子育てとは</title>
         <description>【世界の名言】

　　子どもが生まれもったセンス・オブ・ワンダーをみずみずしく
　　保とうとするには、それが神や妖精から与えられた才能でない限り
　　すくなくとも一人の大人の手助けが必要である
　　大人自身が自らが住む地球の喜び、興奮、神秘を再発見する過程を
　　子どもと一緒に分かち合えばいいのだ
　　（レイチェル・カーソン）

　　If a child is to keep alive his inborn sense of 
　　wonder without any such gift from the fairies, 
　　he needs the companionship of at least one adult 
　　who can share it, rediscovering with him the joy, 
　　excitement, and mystery of the world we live in.
　　( Rachel Carson, American author (1907-1964) )


きょうの名言は、環境問題の古典『沈黙の春』の著者として知られるレイチェル・カーソンのことばです。 

レイチェルの幼いころの生活の様子を知れば、彼女のセンス・オブ・ワンダー（驚嘆の気持ち）を大きく膨らませたのは、彼女の母親であったことがよくわかります。
「『気づき』の力」http://tinyurl.com/5fuqvn
【 柳田邦男、新潮社、p54】

レイチェルが生まれたのは、アメリカ北東部の内陸に入ったペンシルバニア州スプリングデールという田舎町。しかも町の中でなく農場を経営する家だったから、森や野原や川で好きなだけ遊べるところだった。誕生日は1907年５月27日。
レイチェルがなぜ『沈黙の春』という歴史に残る本を書くことになったのか。その背景を考えると、自然界の生命ある者に対する限りない愛着がなければ、自然環境の破壊に対して敏感に反応することはなかったのだろうと容易に推測できる。
さらに深く考えてみると、敏感に反応するかどうかは、感性の豊かさいかんにかかってくる問題だ。

そう、人生の方向さえ決める心の大事な要素は、感性というものだ。私は最近とみにそう思うようになっている。

レイチェルの感性の芽生えは、幼少期にさかのぼる。
母親は結婚前に教師をしていた知性の豊かな女性だった。レイチェルは３人の子どもの末娘だった。幼い頃から独りでいるのが好きな、どちらかというと“孤独な子ども”で、１日の大半を森や小川のほとりで過ごした。

母親はレイチェルが知的好奇心の強い子であることに早くから気づき、２歳の時から熱心に本の読み聞かせをしたり、一緒に森や野原や川のほとりを探索して小鳥や虫や花につて教えた。
それは決して知識を詰めこむような教え方ではなく、自然界がいかに神秘に満ちた美しいものであるかに気づくような楽しい個人授業だった。

象徴的なエピソードがある。レイチェルが５歳の時だ。
ある日、アルゲニー川のほとりでひとりで遊んでいると、足もとにころがっていた石ころに、暗い色の一筋のうず巻き模様が埋めこまれたように入っているのに気づいた。珍しい石なので、お母さんに見せようと、持ち帰った。母親は「これは化石よ」と言って、地質時代の生物がどのようにして化石になったかを解説した本を持ってきて、レイチェルと一緒に本をめくりながら、探した。そして、海の生物の化石についての頁を見つけると、母親は言った。

「この化石は海の生き物だったのよ」

レイチェルは不思議な感覚にとらわれた。海は見たこともないほど遠くにあるのに、何百万年か前には、ここが海だったとは。
その夜、レイチェルはベッドに入ると興奮がおさまらず、なかなか眠れなかった。海ってどんなところなのか、想像がふくらむばかりだった。
この日抱いた海へのあこがれは、やがて40代になって子ども向けに著した『われらをめぐる海』などの作品となって結実するし、何よりもレイチェル本人が終生、海辺で生き物を採集したり散策したりするのを一番楽しいことと思うようになる原点となったのだ。

人物の伝記を読んで、一番感動するのは、こういうエピソードだ。子どもの心の形成において、母親の力、母親の影響というものは絶大だなと思う。</description>
         <link>http://education.mag2.com/osusume/2008/07/132.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">親</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 10 Jul 2008 21:13:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>勉強の質は「長さ」より「思考の深さ」</title>
         <description>「学力低下」「学力不安」が叫ばれ、家庭も学校もますます焦っています。その結果、子どもの“自分らしさ”を抑圧する現状に、ますます拍車をかける。
最近、学校で大量に宿題を出すところが増えてきています。ズバリ言います。たぶん、つぶれる子がたくさん出ます。

大事なのは、「量」ではなく「質」。
いや、「量」もたくさんこなせば「質」に転化するんだという人もいるでしょう。
わたしもそう思います。

でも、よく考えてみてください。「量」をこなせば「質」に転化するから大事だというわけですよね？要するに、「質」が大事だってことでしょう？
初めから「質」を上げればいいし、「量」をこなしさえすれば「質」に転化するというわけでもありません。
「量」が「質」に転化することも、頭が必要です。考える力がなければ、同じことを何年でも続けるでしょう。

要するに、頭を使う人は、「質」を重視するし、「量」をこなしても頭を使って、「質」に転化できる。
頭を使わなければ「量」は「量」のまま。

時間を増やす、量を増やす。
これは頭を使わない発想です。

だから、ラクなのです。気分だけはやった気になれる。
でも、力はつきません。そういう意味で、わたしも受験生時代は、あまり頭を使っていたとは言えませんでした。時間勝負なところがかなりありました。

わたしは２浪しましたが、２浪目の夏休み、毎日、13時間くらいは勉強していました。日曜日は休みで軽く５時間。
ただ、わたしの場合、救いだったのは、多少なりとも頭を使っていたこと。だから、みるみる力がつきました。

いまだったら、１日平均で５時間以内で、当時を上回る学習をすることでしょう。
ズバリ言って、暗記は頭を使ううちには入りません。単に、記憶の問題です。「考える」という意味あいの「頭を使う」ことにはなりません。

作文のように、考えざるを得ないものであるならば、量を増やせば効果は絶大です。
なぜなら、そうとう頭を使うからです。
頭を使うので、作文を書くのに３時間かかったとしても、一般的な学校の宿題を解くのにかける３時間よりも、はるかに質が高いのです。

【勉強の質を計る公式】
（勉強の質）＝ （思考の深さ）×（時間）

実践では、もうちょっと他の要素が加わってきますが、大雑把に書くとこんな感じです。
暗記などは、「思考の深さ」はゼロです。ゼロにいくら大きな数字をかけても、ゼロです。「勉強した気分」にはなるでしょう。

社会人でもいますね。５年の経験と言っても、１年生を５回繰り返すような人。「ベテランの１年生」にはなれるでしょうが、ステージは上がらないままです。
毎年、新しいことを学びとり、吸収し、レベルアップしているかどうか。これが本当の「経験」ですね。本当のキャリアです。
年数だけしか自慢できない「キャリア」は、本当のキャリアではないということです。
古い話になりますが、ドリフの「もしも、ベテランの○○だったら」シリーズみたいなものでしょう。

多くの人たちが、「思考の深さ」を増やさないで（ほぼゼロに近い状態のままで）「時間」だけ増やしていないでしょうか？
その積み重ねが、５年、10年、15年、20年となるにつれて、埋め難い開きになってくるというわけです。
30代になる辺りから、人生の差がついてくるのは、そういう要素が大きいでしょう。

勉強は、質を上げることが大事です。
トップレベルを目指すには、とにかく質を上げることです。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">学習法</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 10 Jul 2008 21:08:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>目標を持つ意味と、達成のコツ</title>
         <description>「あれも、これも、それもやらなくちゃならない〜」
「やるべきことがたくさんある！！」

そんなことはわかっているのだけれど、なかなか手がつけられなくてはかどらない…こんな経験あると思います。
情けないことですが、私・小坂にも時々あります。

こういう時はまず、何をやるか優先順位が決まっていないと思います。
「それはわかるんだけどうまくいかないんだよ〜」という人。よい方法があります。まずは落ち着いて今日やるべきことを紙に書き出してください。
不思議なもので書き出すと少し落ち着くと思います。そこで、書かれている事柄に優先順位をつけていきます。

よーし、今日は英語の文法と単語練習と数学の宿題と理科の問題集と漢字練習だー。えー、でもこんなにたくさんどうしよう？

期限があるものが最優先なのは当然ですが、そうでないものまであまり欲張ってしまうと、結局何をしたらよいのかわからなくなってしまって順位をつけた意味がなくなってしまいます。
コツは、優先順位が１番のものだけに意識を集中してください。そのほかはないものと考えるの。

順番が１〜10番まであったら、まずは１番だけに集中する！それが終わったら２番だけに打ち込むという具合です。

まずは１番を30分以内にかたづけよう！といった小さな目標をつくると、とてもはかどるようになります！
もちろん、小坂もこの方法で頑張ってます！

目標を持つ大切さは、たとえばスポーツを例に考えてみるとわかりやすいです。

バーのない棒高跳び
ゴールがないサッカー
カップのないゴルフ

もしこんなスポーツがあったらどうですか？面白いでしょうか？盛り上がるでしょうか？

きっとつまらないに決まっています！
選手はどうしたら良いかわけがわからない。記録達成したのかわからず、勝敗もわからず。だから観客は応援のしようがない。（金返せー！！）

なぜ？なぜスポーツとして成立しなくなるのか？
それはきっと『目標』がないから。

ある高さのバーやゴールを目標にして選手が必死になり、観客が熱くなる！！だから面白く盛り上がる。
スポーツを見ていると、『目標』が人の心に火を点けるんだなーといつも思います。
スポーツを人の人生に例える言葉を耳にすることがありますが、まさに、人生の『目標』がその人や周りの人々を熱くするのだと思います。

人生の目標を見つけよう！！子どもに人生の目標を持たせよう！！
それが、意欲をかき立てるのです。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">しつけ</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 10 Jul 2008 20:49:54 +0900</pubDate>
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