群読〜表現することを楽しむ子どもたち〜
子どもの自主性をはぐくんだ群読
子どもたちの群読を見た保護者の方や、群読の講座を体験した方から「群読って音楽みたいですね」という言葉をいただくことがあります。そうですね。一人一人の声が生かされ、合わさり、重なり、響いていくことのおもしろさ、心地よさ……その表現の様子を例えるなら、「合唱」のイメージがぴったりかもしれないと私自身も思います。
群読がこの「学びのしかけプロジェクト」のキーワード「自立した学び手」を育てる効果があると感じたエピソードをご紹介したいと思います。
卒業式の呼びかけ練習でのことでした。
総仕上げの練習の時に、ちょうどインフルエンザの流行がぶつかってしまいました。私の担任する学級(3年生)でも、ソロのセリフの子が休んでしまったのですが、うっかり者の私は、代わりの子どもを決めることなく全体練習に臨んでしまいました。
気付いたのは、呼びかけが始まってから。一瞬、青くなりかけましたが、私が代わりに言えばいいやと口を開きかけたとき、なんと、セリフは無事聞こえてきました。休みの隣の子どもが代わりに言ったのです。呼びかけは滞ることなく流れていきました。
学級に戻ったときに、子どもたちを「すごい!よく自分たちで考えて動けたね。よくセリフを覚えていたね」とほめました。子どもたちは練習直前に、休みの代わりは隣の席の人が言うということを取り決めたと教えてくれました。そして、けろっとした顔で「だって、○○ちゃん、お休みだもん。言えないでしょ。それに、群読といっしょで、いつも心の中でいっしょに言ってたから言えた」と言っていました。
呼びかけがストップしてもおかしくない状況だったにも関わらず、子どもは自分たちで考えて動きました。
子どもが言った『群読といっしょ』というのには、2つの意味があると私は思っています。1つは「呼びかけはみんなでつくっている」という意識があったことです。そのことが、自分たちの担当するパートへの責任感、そして、代わりに言うという行動につながったのでしょう。
もう1つは、「呼びかけ全体を1つの作品として理解していた」ということです。いきなりの代役がなぜできたのか。それは、群読で培われたものがベースになっていました。子どもたちは、待っている間、心の中で一緒にセリフを言っていたようです。自分のセリフだから覚えるとか覚えないということではなく、みんなで完成させる卒業生へのメッセージとして、呼びかけを行っていたということなのだろうと思います。
呼びかけの練習でそうしなさいと意図的に指導したことではなかったので、このように群読での経験が生かされていることに驚きと感動をを覚えました。
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