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「私は英国と結婚している」と独身を貫いた…エリザベス1世の生涯

不遇の幼少時代をバネに、イギリスを大国へと押し上げた女帝

エリザベス1世 イギリス女王
(1533〜1603)

「私はイングランド(英国)と結婚している」

母は、父ヘンリ8世の2番目の妃となったアン・ブーリンです。その母は、男子を生まなかったため、夫の不興をかい、又、女官ジェーン・シーモアと再婚したいが為に不貞の罪で処刑されてしまいましたた。

2歳で母を失った彼女は私生児とされ、父の死後11年間を統治した異母弟エドワード6世と異母姉メアリ1世の時代に、彼女は数度にわたって君主への謀反を疑われ、ロンドン塔の逆賊門をくぐり幽閉されています。

しかし、姉メアリ1世が病死すると、彼女がイングランド女王に即位することになったのです。25歳の時でした。ルネサンス的教養に富み、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシア語を自在に話せる才媛であった彼女は、英国民から敬愛され、国中が歓喜して新しい女王の戴冠式を祝いました。彼女はまず宗教改革を行い、ヘンリー8世が国教会を成立させて以来争ってきたカトリックとプロテスタントをまとめていきます。1559年には統一令を発布して、イギリスの教会を独立させ、王が教会の首長となり、国教会制度を確立させるとともに、急進的な清教徒と旧教徒を抑圧していきました。

また、外交においては国際間の対立に巻込まれるのを警戒していましたが、オランダ、フランスの新教徒をひそかに援助し、スペイン船略奪を奨励しました。海賊ドレークが世界一周を成し遂げたあと、海賊たちをうまく海軍として編成、スペインとの開戦後の1588年には、国家の統制下に置いたこの海賊集団によりドーバ海峡でスペインの無敵艦隊を破ります。当時としては、小国イギリスが大国スペインに大勝利したことになり、これによって海外への進出が容易になり英国経済は大いに発展していきます。その後東インド会社が設立され、「日の沈まぬ帝国」が作られる基礎ができたのです。

イングランドの栄光時代を築いた“良き女王ベス”は、後継者には処刑されたメアリの子(ジェームズ1世)を指名して息を引き取りました。70歳でした。

彼女は政治的問題と絡む男女関係に煩わされることを嫌って、一生結婚をしないことを宣言したため「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれました。彼女が即位すると「血のメアリ(Bloody Mary)」といわれたメアリ1世の治世下にびくびくした暮らしをしていた民衆は彼女を熱く歓迎し、カトリックの人もプロテスタントの人もまたピューリタンの人も彼女を愛したといわれています。