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明治維新でどう変わった?日本の政治と身分制度

“華族”ってどんな人たち?

明治2年(1868年)6月17日、公卿・諸侯を『華族』と称する布告が発布されました。この日に『版籍奉還(はんせきほうかん)』が行われました。大名が幕府から預かっていた領地、領民を朝廷に返還するという処置です。
この処置により、それまで藩主であった大名は治藩事(ちはんじ)となり、引き続いて行政を担当することとなりました。

それまでの身分制度にあった公卿(公家)・諸侯(旧藩主)の呼称を廃して、公卿(142家)、諸侯(285家)が新しい身分層である『華族』となりました。『華族』は戦前に存在した日本の『貴族』です。同年11月20日、華族は東京に居住しなければならなくなりました。
当初は華族に等級はありませんでした。1884年、華族令が制定され、華族は公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の爵位に分けられました。

華族とされる者は、家督を有する者及び同じ戸籍にある者を指し、華族に生まれても平民との婚姻等により分籍した者は、平民の扱いを受けました。
1889年、大日本帝国憲法(旧憲法)が発布され、華族は貴族院議員となる義務を負いました。30歳以上の公侯爵議員は終身、伯子男爵議員は互選で任期7年と定められ、『皇室の藩屏(はんべい:敵から守るもの)』としての役割が課せられました。

同年定められた旧皇室典範により、皇族との結婚資格を有する者は皇族または華族の出である者に限定されました。
1947年5月3日、日本国憲法の施行とともに華族制度は廃止されました。それは、憲法第14条に法の下の平等、貴族制度の禁止があるからです。