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好奇心と感性を養う子育てとは

母親から大きな影響を受けた、生物学者レイチェル・カーソン

【世界の名言】

  子どもが生まれもったセンス・オブ・ワンダーをみずみずしく
  保とうとするには、それが神や妖精から与えられた才能でない限り
  すくなくとも一人の大人の手助けが必要である
  大人自身が自らが住む地球の喜び、興奮、神秘を再発見する過程を
  子どもと一緒に分かち合えばいいのだ
  (レイチェル・カーソン)

  If a child is to keep alive his inborn sense of
  wonder without any such gift from the fairies,
  he needs the companionship of at least one adult
  who can share it, rediscovering with him the joy,
  excitement, and mystery of the world we live in.
  ( Rachel Carson, American author (1907-1964) )


きょうの名言は、環境問題の古典『沈黙の春』の著者として知られるレイチェル・カーソンのことばです。

レイチェルの幼いころの生活の様子を知れば、彼女のセンス・オブ・ワンダー(驚嘆の気持ち)を大きく膨らませたのは、彼女の母親であったことがよくわかります。
「『気づき』の力」http://tinyurl.com/5fuqvn
【 柳田邦男、新潮社、p54】

レイチェルが生まれたのは、アメリカ北東部の内陸に入ったペンシルバニア州スプリングデールという田舎町。しかも町の中でなく農場を経営する家だったから、森や野原や川で好きなだけ遊べるところだった。誕生日は1907年5月27日。
レイチェルがなぜ『沈黙の春』という歴史に残る本を書くことになったのか。その背景を考えると、自然界の生命ある者に対する限りない愛着がなければ、自然環境の破壊に対して敏感に反応することはなかったのだろうと容易に推測できる。
さらに深く考えてみると、敏感に反応するかどうかは、感性の豊かさいかんにかかってくる問題だ。

そう、人生の方向さえ決める心の大事な要素は、感性というものだ。私は最近とみにそう思うようになっている。

レイチェルの感性の芽生えは、幼少期にさかのぼる。
母親は結婚前に教師をしていた知性の豊かな女性だった。レイチェルは3人の子どもの末娘だった。幼い頃から独りでいるのが好きな、どちらかというと“孤独な子ども”で、1日の大半を森や小川のほとりで過ごした。

母親はレイチェルが知的好奇心の強い子であることに早くから気づき、2歳の時から熱心に本の読み聞かせをしたり、一緒に森や野原や川のほとりを探索して小鳥や虫や花につて教えた。
それは決して知識を詰めこむような教え方ではなく、自然界がいかに神秘に満ちた美しいものであるかに気づくような楽しい個人授業だった。

象徴的なエピソードがある。レイチェルが5歳の時だ。
ある日、アルゲニー川のほとりでひとりで遊んでいると、足もとにころがっていた石ころに、暗い色の一筋のうず巻き模様が埋めこまれたように入っているのに気づいた。珍しい石なので、お母さんに見せようと、持ち帰った。母親は「これは化石よ」と言って、地質時代の生物がどのようにして化石になったかを解説した本を持ってきて、レイチェルと一緒に本をめくりながら、探した。そして、海の生物の化石についての頁を見つけると、母親は言った。

「この化石は海の生き物だったのよ」

レイチェルは不思議な感覚にとらわれた。海は見たこともないほど遠くにあるのに、何百万年か前には、ここが海だったとは。
その夜、レイチェルはベッドに入ると興奮がおさまらず、なかなか眠れなかった。海ってどんなところなのか、想像がふくらむばかりだった。
この日抱いた海へのあこがれは、やがて40代になって子ども向けに著した『われらをめぐる海』などの作品となって結実するし、何よりもレイチェル本人が終生、海辺で生き物を採集したり散策したりするのを一番楽しいことと思うようになる原点となったのだ。

人物の伝記を読んで、一番感動するのは、こういうエピソードだ。子どもの心の形成において、母親の力、母親の影響というものは絶大だなと思う。