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「もの」に対する感謝の気持ち

「いただきます」の意味をもう一度考える

先日、全国味噌工業協同組合連合会が発行している雑誌のなかで、
同会長様の巻頭随想を拝読いたしました。

そこから抜粋したのが以下のお話です。

先日、地元の有名なお寺の老師さまと、
一刻(ひととき)での四方山話(よもやばなし)をする機会を持ちました。

その中でも「もの」に対する感謝の気持ちがなくなっていることに、
危惧を感じていらっしゃいました。

その折に、この「いただきます」の意味について問われ、
改めてこの意味について考えさせられました。

私はただ昔から父、母に言われたことを習慣でやっていただけでありました。

そして答えたことは、この料理を作った人や素材を提供してくださった人々に対する労苦への労いと感謝の気持ちを表し、言葉の表現として「いただきます」と手を合わせることではないでしょうか、と答えさせていただきました。

老師さまは、その答えは間違いではないが充分な解答ではなく、
もっと深い意味がこの五文字に含まれているとおっしゃいました。

それは、日本では我々が口にする動物はもちろんであるが、植物も、食べ物として供されるもの全てに命を宿しており、それらの命をいただき自分達の命を維持するために食べている、即ちあなたの命を私の命に代えさせていただきます、ということであると諭され、改めて食べ物を粗末に扱ってはいけないことに気付かされました。

今まで以上に我々の周囲の人だけでなく、人、物に感謝の気持ちを込めて一つ一つを大切に創り上げていくことが「命」を生かすことであることを肝に銘じていれば、言葉づかいも行動そのものも変わっていく。

「いただきます」とともに最近蘇った古くて新しい「もったいない」という言葉が、日常語となれば、食べ物の廃棄率も自然に減り、問題となっている食糧の自給率も上がってくるのではないでしょうか。

まず近いところから習慣が身につくように、私の身内全員が心から「いただきます」が言える習慣づくりから始めるよう努力している今日この頃であります。