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“苦手”なことが“嫌い”とは限らない

子どもの苦手意識を作るのは親の一言かもしれない

先日、6歳の息子の一言にちょっとハッとしたことがあって、
今日はその話をしたいと思います。

上手に説明こそできないけれど、
苦手と、嫌いは違うのだと彼は私に教えてくれました。

幼い彼には「苦手」が山のように存在しています。

うまくいかない〜っ。これは苦手だ〜!とイライラしている彼を日頃よく目の
当たりにしますが「これはキライ!もうやだっ。」と投げ出さないでいるとこ
ろはエライと思って黙って見ています。

色鉛筆で絵をよく描いている子ですが、「何色が一番好き?」と問いかけると、
「どの色もみーんな、大好き」と答えるのです。

息子に聞くと、万事がその色鉛筆と同じ感覚で、
特に甲乙をつけることがない。

どの子もみんな友達。
どの動物もみんな好き。

「ぼくは、あまりきらいなものをつくらないことにしてるんだよ。どれもみん
なだいすきってこたえることにしてるの。」

そう言われた時に、私にはなかった発想を幼い息子が運んでくれた気がして、
正直衝撃的でした。

と言って彼は優柔不断なわけでもない。

選ぶ時には迷わず、即決な人です。

選ぶ基準もカレ流で、よくわからないのですが、
こうと決めた以上は、他人が何と言おうが揺るがない信念を既に持っています。

苦手なもの=キライなものだと、私はずっと思っていました。

苦手を好きになることなど、ないに等しいなんて、
コチコチに固まった考えでいた自分がいます。恥ずかしいことですが。

だから、変に誰かに植え付けられた考え方を持たない、子供はどの子であれ、
とてもフラットで、物事を天秤にかけない自由な心に溢れています。

苦手は、誰かが勝手に言いだした、
ある種心の罠のようなものなのかも知れません。

親である私が苦手なものは、
きっと子供も苦手に違いない。

そんな歪みを子供に強要しては
ならないんだと、改めて気付きました。

怖いことです。
そんなもの遺伝するわけでも何でもないのに。

好き嫌いも、得意、不得意も全て個人個人のもの。

勝手な判断、レッテルを張る癖、
今こそ見直したいものです。

そして必ず、苦手がスキになる、そんな奇跡も確実に存在するんだと、
この歳になって子供に教えられました。

私たち親の、大人の一番悪い癖が、
「自分の考えを子供に押し付ける」ことだと思います。

大人の何気ないその行為こそが、
子供の苦手意識をどんどん育てていっている気がしてなりません。

私、本当に気を付けようと思います。

苦手はあってもいいのです。
苦手をキライにしないように。
少しでも苦手を愛せるように。

そう導くのが大人としての最低限度の努めでした。

間違った自分を間違ったと認めることも苦手克服の第一歩です。

どうか自分のお子さんの純粋な部分に目を留めて、
新鮮な発見に感動してみて下さい。

子供は偉大です。親が思う以上に。