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子どもの自律、自立を支える親のサポートとは?

いつから「大人」?

子どもは、いつを境目に大人になるのでしょうか。
・義務教育が終わったら?
・成人式をあげたら?
・社会人になったら?

私たちは思春期に悩んだり、理由もなく親に反抗したり、恋愛で盛り上がったり、落ち込んだりして、気づいたらいつの間にか大人になっていたというところなのかもしれません。
また、視点を変えれば、子どもなのか大人なのかを悩んだり、自分とは何か、自分のアイデンティティは何なのか…などと考えることを止めてしまったときが、大人になったときといえるのかもしれませんね。
そういうふうに考えると、大人の生き方ってさびしいと考えるのは、私だけでしょうか?

大人=成人=成熟した人間
と考えれば、
子ども=未熟な人間
となりましょう。

であれば、成熟した人間はどんな人をいうのでしょうか?
私は、成熟した人間とは、「人生の目標をもち、その目標を達成する過程での様々な困難や問題を主体的に発見し、解決できる能力を備えた人間」であると思います。

ポイントは、
・自分の人生の目標を持っているか?
・目標に向けて努力しているか?
・何が問題であるかを主体的に発見できるか?
・その問題を主体的に解決できるか?
ということではないでしょうか。
一言でいえば、「自律(自立)した人間」なのだと思います。

だとすれば、未熟な人間は、
・自分の人生の目標をまだ見出していない。(目標が決まっていないので努力もできない)
・問題を発見できるほど、社会や世界を知らない。
・問題を解決できるほどの十分なスキルや経験をしていない。
というところでしょうか。

長々と理屈っぽい話をしましたが、何をいいたいのかというと、子どもを育てる親の役割は「子どもが自律(自立)できるようにサポートすること」だということです。
いってみれば、子どもは植物の「種」のようなものです。
自分で芽を出して、葉っぱができ、成長して花を咲かせる。これが成熟すること、自律(自立)することだと思います。
ですから、子どもは成熟する「能力」は最初からもっているのだと思います。
そういう意味では、「未熟」というのは、大人と比べて何か能力が劣っているとか、不足しているとかいうことではなくて、種の中につまっている「能力」が発芽していないだけではないでしょうか。

一方、子どもが「種」なら、親(あるいは先生や地域社会も)は「土」であり、「水」であり、「太陽」です。
親である土や水や太陽は、種の中身や品種を変えることはできません。
できるのは、子どものである「種」の外皮を破り芽を出すときなどのきっかけや栄養を与えることです。

あなたの子ども(種)は、どんな花を咲かせるでしょうか?
種が成長(自立・自律)するのを支え、応援しながら、どんな花が咲くのかを楽しみに待つことも大切なのではないでしょうか。