今、日本の子どもたちで不登校の児童、学生は13万人に上るといわれています。
不登校のきっかけは、言わずとしれた「いじめ」や学校に通いたいという動機の希薄化です。身体の病気で通えない子もいる中、身体的には問題がなくても精神的に通学が困難になるのは、なんとも残念です。
いじめは、ほんの小さな意地悪であっても、それが不登校につながり、引きこもりにつながり、果ては自殺に追い込んでしまうなど、負の連鎖の出発点となります。日本では19歳以下の自殺が年間500人前後もあり、世界でもトップレベルの悲しい記録を持つ国です。
文部科学省は昨年8月より、ようやく自殺防止教育の研究班を立ち上げました。多民族国家で教育システムの先進国であるカナダでは、いくつかの共感教育プログラムや差別防止プログラムが開発されています。日本でも、対策が加速していくことを願うばかりです。
クラスでいじめが発覚したら、大人が真正面から問題と対峙し、「いじめはいけない」という態度を子どもに見せなくてはならないでしょう。「よくあることだから」「いじめたくなる気持ちもわかる」「いじめられる方にも理由がある」という見解は、最悪の事態を招きます。いじめた方が正当化される理由を作るべきではありません。いじめられた側は泣き寝入りせず、すべての大人は、いじめを繰り返してはいけないというメッセージを熱く伝え続けなければいけないでしょう。
しかし、悪いのは「いじめる行為」であって、人格を否定するような伝え方はしないことです。
子どものいじめをなくすためには、大人の関わりが不可欠です。
子育て世代が在宅中に放送されているテレビ番組や、主婦向けの週刊誌などの内容は、いじめ記事のオンパレード状態といっても過言ではありません。芸能人の私生活批判や、嫁姑問題を面白おかしくデフォルメした記事や漫画。他者批判、陰口の宝庫です。
大人こそ、今のいじめの現実に麻痺しないことが大切でしょう。
ある日、小学生の保護者のこんな会話が耳に入りました。「国会中継ひとつとっても、諮問や詰問で、建設的な話し合いの場面はあまり見られない。不毛な揚げ足取りの連続で、あれは“大人同士のいじめ中継”よね」。
メディアの影響で、いじめに麻痺した大人が、近隣の陰口を言ったり他者批判をすれば、「友達を大切にしなさい」「相手に思いやりを持ちなさい」と言っても子どもたちには通用しません。
目の前の大人たちが手本を示せないのに、どうして子どもたちの社会でいじめを根絶することができるでしょうか。本音と建前を使い分ける二枚舌の社会の中で、誰の前でも態度を変えないという品格や、弱者を支援するという本質的な人間愛が問われています。
あらためて正義とか信頼といった、幸福な未来を築くために必要な力を、今一度大人たちも意識して連携し、子どもに体現させていける社会を生みなおす時代でしょう。いじめが発生したら、子どもも大人も一緒に真剣に話し合うべきです。人と人はどうつながることが理想なのか。いじめるほうは強者に見えるけれど、繰り返される心への暴力を止めるにはどうしたらいいか。
私が推進している誕生学プログラムの活動でも、小学校に赤ちゃんを連れて赴き、「あなたたちの皆すべてが、大切な命。みんな、それぞれの家族の大事な赤ちゃんでした。いじめるために生まれたのではないし、いじめられるために生まれてきたのではないよ」と直接メッセージを届けています。各家庭でも「あなたは大事な私の赤ちゃんだった」とあえて言語化して伝えて欲しいと思います。特に、いじめてしまっている子のフラストレーションは、母親が優しく包めばほぐれるものです。「人に優しくすることは、心が強くなければできない」という自他尊重の核となる考えを伝えるのは、特に母親が発揮できる力だと思えてなりません。
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