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家庭での会話が左右する、子どもの対話力

気づかないうちに「単語生活」になっていませんか?

インスタント食品ばかりでは健康によくありませんが、子どもの糧である言葉に対してはどうでしょうか?
子どもたちはテレビから流れ出るインスタント的な言葉を取り込んでいます。語彙(ごい)の良し悪しもさることながら、言葉の使い方に偏食の傾向が現れています。さらに大人の家庭での言葉遣いも、子どもにとっては必ずしも望ましいものではないようです。どういうことが心配なのでしょうか?

夕食の後、ママは後片付けをしています。パパはテレビを見ながら、「お〜い、お茶」と言っています。
普段であれば「ハーイ」と答えているのですが、その日はなぜかちょっと違っていました。「お茶がどうかしましたか?」という素っ気ない返事です。和やかな雰囲気ではないようです。他に何か原因があるのかもしれませんが、「おーい、お茶」という物言いも気に障っているようです。「お茶」という言葉はその辺に放り出されている捨てぜりふなのです。
聞こうと思うと、放り出されたお茶という言葉をわざわざ拾いに行かなければなりません。そんな失礼な物言いはありませんよね。それがカンにさわるのです。

テレビの言葉も同じです。アナウンサーが「おはようございます」と挨拶をしても、だれも返礼はせずに無視していますよね。勝手に言っているだけ、お茶の間に言葉が捨てられているのです。拾いたければ勝手にどうぞという物言いです。
子どもはテレビの前で、言葉とはその辺に放り出すものと覚えていきます。こうして言葉は聞かせるものだということを教えられないままに育ってしまいます。

「ママ、後でいいから、お茶を一杯入れてくれないか」
こういう物言いが最低限のルールでしょう。つまり、だれに向けて話しているかをはっきりさせ、相手の都合に気配りし、こちらの願いを伝えることです。
言葉遣いとは、だれに向けて言うのか、だれに聞いて欲しいのかということをはっきりさせることです。言葉遣いを注意するとき、「だれに向かって言っているんだ」と言うのは、このことです。だれに向けて話しているかに気を遣えば、自然に敬語が出てきます。ところが、捨てぜりふにはそんな気配りは必要ありません。

腕白息子が帰って来るなり「お腹空いた」と言っています。その言葉にママは「冷蔵庫にケーキが入っているから食べなさい」と即応します。それは言葉のしつけにはなりません。
「お腹空いた」という言い方は誰にも向けていない捨てぜりふ、あるいは独り言なのです。ママとすれば勝手に言わせておけばいいのです。捨てぜりふで用が足りると子どもに思わせたら、社会に出てから困ります。
「ママ、お腹が空いているんだけど、何か食べるものがあったらちょうだい」。子どもにちゃんと話させる癖をつけること、それを待って聞き届けることがしつけです。

言葉を相手に届けようとすれば言葉を選ぼうとしますし、誤解のないように言葉をつないでいくようになります。そのやりとりが対話になります。
わかってくれないという甘えは、わかってもらえる話し方が育っていないということです。言葉をつなぐ訓練は、本などを読んで文章に慣れることです。慣れたら自然に使えるようになります。
歌を覚えることもいいでしょう。「見た?」「うん、見た」。そんな単語生活の中で育っていては、対話は不可能です。