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時代劇に出てくる武家屋敷、実は借家だった!?

現代とは違う、江戸時代の住宅事情

今年は明治元年(1868年)から140年目です。
それまでの265年間は徳川幕府が日本全国を統治していました。
その期間は、幕府が置かれた地名から『江戸時代』と一般には呼ばれています。

この呼び方は現代の我々が使っているもので、当時の人々は「我々は江戸時代に生きているのだ」とは考えていませんでした。
時代の変化の激しい現代に生きている我々は、江戸時代は変化がないと考えていますが、それは大きな考えちがいです。
その時代を少しでも理解するため、現代の我々の身近な切り口から、江戸時代に迫ってみましょう。

今回は『住宅問題』です。

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<所有権なし>

花のお江戸を舞台にした時代劇には豪壮、広大な大名屋敷や武家屋敷が登場します。
まさに都内で『猫のひたい』ほどの土地に住んでいる身には、うらやましいほどの広さです。
それでも、決して安くない固定資産税を払っていると、「広ければいい」とばかりも言えませんが。

ところで、皆様は「あの屋敷の所有者は誰だろう」と考えたことはありませんか。
そこに住む大名、旗本、御家人のものではありません。
あの屋敷は『拝領屋敷』(はいりょうやしき)といって、所有権は公儀(こうぎ)つまり幕府がもっています。
大名たちは、あの土地を使用する権利を持っているにすぎません。
したがって、幕府から罰を受けたり、役職が替わったならば、即座に退去しなければなりません。

『忠臣蔵』では、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への殺人未遂事件により、浅野家は取り潰しになりました。
それと同時に拝領していた上屋敷、中屋敷、下屋敷から退去するわけですが、その作業が整然と行われました。
屋敷没収や屋敷替えに備えて、常日頃から心構えがあったのでしょう。
それでも一部に混乱があったようですが、これはやむを得ないことです。

<近くに住みたい>

現在、企業や官公庁に勤務する人の大部分は朝のうちに家を出て、出勤し、夕方に帰宅しています。
多くの人は「家と勤務先の距離は近ければいいな」と思っています。

それは江戸に住んでいた旗本、御家人も同じでした。
今までは近くても勤務先が変わって、通勤距離が長くなるような人もいました。
現在であれば自己所有であれば売却、賃貸であれば契約解除して、近くへ移転できます。
しかし、江戸時代では先ほども書きましたとおり、所有権は幕府のものですから勝手に売却はできません。

その方便として、お互いが納得すれば宅地、建物を交換することは可能でした。
当時のことばでは、それを『相対替え』(あいたいがえ)といいました。
当然ながら、周辺環境、屋敷の広さ、古さ新しさがありますから、無償での交換とはいきません。
条件が悪い側が、ある程度の金額を支払いました。その額の相場は状況によって違っていました。

買う側は、屋敷の中をつぶさに点検、見聞しました。
少しでも粗(あら)を見つけて、受け取る金額を増やそうとするのは現在と同じです。
その時に、屋敷内の付属物、たとえば障子(しょうじ)、ふすま、衝立(ついたて)等を残すのか、現在の所有者が持って行くのかを決めていました。