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実は数学者でもあった、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロル

アリスの物語が生まれたきっかけは…

<1月27日生まれ>
ルイス・キャロル (本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジスン) 1901〜1967
童話作家、数学者

イギリスのチェシャー州のダーズベリで牧師の長男として生まれました。彼には、なんと11人(姉2人、妹5人、弟3人)もの兄弟姉妹がいました。彼らは、皆多少の言語障害があって、彼自身も吃音のハンディキャップに悩んでいたのですが、のどかな田園の牧師館で幸せな日々を過ごしていました。

18歳のときに、オックスフォード大学クライスト・チャーチへ入学。特に数学で頭角をあらわし、23歳のときに、終生学校に留まっていられる特別研究生の地位を得て、卒業後はオックスフォード大学の数学講師となりました。
28歳のとき『平面解析幾何学大要』を出版。翌年には、英国国教会執事に任命されましたが、正式の牧師にはなりませんでした。

そして1862年、彼が30歳になったとき、リデル家の姉妹のロリーナとアリスとイーディス、友人ロビンスン・ダックワースとの5人ボート遊びのなか、彼はボートを漕ぎながら『地下の国のアリス』というお話を即興で作り上げました。
帰宅後、今日のお話しを本に書いてほしいとアリスに頼まれて、彼は、話を思い出しながら物語を書き始めました、そして数か月後、直筆で書いた『地下の国のアリス』に自筆の絵を添えて、手作りの本に仕上げてアリスに捧げたのです。

その後、周囲からのすすめもあって、話を書き足して『不思議の国のアリス』を完成させ、ジョン・テニエルの挿絵でマクミラン社から自費出版。大人気となって、ヴィクトリア女王も愛読したと言われるほど評判となりました。

彼は、その後も『鏡の国のアリス』のほか、ナンセンス文学の『スナーク狩り』や、長編の『シルヴィーとブルーノ』、それに多くの詩を発表しました。もちろん、チャールズ・ドジスンとしても数学や論理学の著作を数多く残しています。
しかし、アリス物語の作者であることが知れわたっても、人前では一生その作者が自分であることは認めようとしなかったそうです。

その後も、彼は子供たちと楽しい時を過ごしながら生活していましたが、1898年1月14日、気管支炎が悪化してサリー州ギルフォードで亡くなりました。65歳でした。

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彼の『不思議の国のアリス』は大評判となり、ヴィクトリア女王も彼の物語の大ファンでした。
そこで、ビクトリア女王は彼と会ったとき、ぜひ他の本も贈ってほしいと頼んだところ、彼は快く承諾してくれました。
後日、期待に胸膨らませる女王のもとに届けられたのは、全て数学の専門書だったということです。