今の子どもと比べてみよう
江戸時代の食生活
江戸時代は、外食産業が発達していた
徳川幕府が江戸に開かれ、寒村だった江戸の町が京の都をしのぐほど大きな町へと変貌したのが江戸時代。
当時の江戸は、世界最大の人口100万人を誇っていた町でした。ちなみにヨーロッパ最大と言われたロンドンが80万人。当時としていかに江戸の人口が多かったかがわかることと思います。
江戸は、男女の構成比が悪く、男性が圧倒的に多い町でした。それもそのはず。新興都市では建築や土木などいろいろな仕事があり、江戸で一稼ぎしようと思って出て来た人が人口を膨らませていったのです。
男性が多いということは、独身者も多い。そのためもあって外食産業が発達。屋台が江戸の町にたくさん並びました。今でも食べられているそば、おでん、寿司、てんぷらなど多くの屋台があり、ちょっと小腹のすいた時間などに職人が屋台で食べ物をつまんでいる光景も日常でした。ちなみに、てんぷらは今でこそ、野菜てんぷらがありますが、当時は魚しかてんぷらにはなりませんでした。また、短気な江戸っ子は、食べる時間も短く、手軽にすぐ食べられる食事を選んだようです。
一方、長屋などの家では、朝に1日分のご飯を炊いていました。江戸時代の庶民の多くは長屋に住んでいました。かまどに火をおこすことは大変な作業だったので、朝に1日分のご飯を炊くことは合理的な考えでした。
朝食は、ごはん、味噌汁に漬け物程度。味噌汁の具は、「しじみ」「わかめ」「豆腐」「野菜」など。いわゆる○○売りが家の近くまで来て、売っていました。
さて、子どもたちの多くは、寺小屋に通っていました。江戸時代の識字率は世界最高の水準で、これは寺小屋の普及によるところが大きいと言えるでしょう。
子どもたちは朝に寺小屋へ行き、昼になると家に戻って昼食を食べました。昼食は、母親と朝に炊いたご飯、味噌汁、野菜の煮付け程度の献立でした。昼食を食べた後は再び寺小屋へ行き、午後2時頃に帰ってきました。
そして、3時頃に食べた軽食が「おやつ」です。「おやつ」は焼き芋や餅などが多かったようです。ただし、「まんじゅう」のような高価なものは滅多に食べられませんでした。
夕食は、一汁一菜が基本。ご飯に漬け物や魚、野菜の煮付け程度でした。また、ご飯が冷えているので、おじややお茶漬けに漬け物というのが多くの家でも食べられました。そして、8時頃には寝た、と言われています。当時、照明用の油は高価なものであったようです。早寝早起きこそ、節約だったのです。
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