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“挨拶”が教える親の姿勢

挨拶、できていますか?

あるお寺の、いちばん偉いお坊さんは、会う人会う人にいつも笑顔で挨拶をしていました。
そのお坊さんは散歩を日課としていて、その散歩の途中で、必ず毎日会う人がいました。
そのお坊さんは、いつもの笑顔で、その男の人にも挨拶をするのですが、その男の人は挨拶をしません。
それでも、お坊さんは毎朝毎朝、いつもの笑顔で挨拶をしていたそうです。

そうしたことが3年続きました。

そして3年後、いつもどおりの笑顔で挨拶したお坊さんに、その男の人は、絞り出すように、ついに「おはようございます」と言ったそうです。
そして、「いままですみませんでした」と涙ながらに謝ったというのです。

挨拶をして、挨拶を返されなかったら、たいていの人はムッとします。
そして、それが何回か続くと、その人には挨拶をすることはしなくなるのではないでしょうか。

まして、その挨拶をしない人が子どもであったとしたら、怒ったり、「挨拶されたら、挨拶をするものだ!」と説教したり、自分の子どもであったら、
「あいさつは?」「おはようは?」とか
「あいさつぐらい、ちゃんとしなさい!」とか
「こんなときは、なんて言うの?」と、詰問してしまいがちです。

(「こんなときは、なんて言うの?」というセリフは、本人に気づかせようとの意味で言ってても、子どもは責められているとしか感じません)

自分が挨拶するのは、相手の挨拶を期待して、というためではありません。
こちらが挨拶するのは、ただ挨拶すること自体に意味があるだけで、相手が挨拶しないことに腹を立てたり、詰問したりするというのは、筋違いというものでしょう。
確かに、挨拶は社会の潤滑的ルールかもしれません。

しかし、もしそうであるなら、挨拶をしないからといって、その人に悪感情を持つこと自体が、むしろ、社会の潤滑をみずから阻害していることになるのではないでしょうか?
相手が挨拶しようがしまいが関係ない、自分の子どもが挨拶しようがしまいが関係ない、ただ自分が淡々と挨拶をし続ければいいだけのことです。
そして、その親の姿を、子どもは見てないようでいて、しっかりと見ているものです。
そうした姿勢をずっと見てきた子どもは、いずれ、自分も、相手が挨拶しようがしまいが関係なく、素敵な笑顔で、誰にでも挨拶する大人になっていくのです。

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