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「ありがとう」を伝えると、子どもが伸びる

子どもをやる気にさせる親の態度

子どもがにこにこしながら、親に報告してくれることがあります。
「見て、見て、今日、ぼく、テストで100点だったよ」
「まあ、すごい!」
「ほら、ほら、これだよ」
「がんばったわねー」

でも、子どもはいつも100点を取れるものではありません。
では、悪い点をとってきた俊くんとお母さんの例を見てみましょう。

「俊くん、今日、テスト、返してもらった?」
お母さんの声にギクリとする俊くん。
「えっ、そうだね。でも、どうして知ってるの?」
「うん、なんとなくね。じゃあ、すぐお母さんに見せなさい」
有無を言わせぬお母さんの声にたじろぐ俊くん。
「あの、お母さーん、怒らない?」
「うーん、どうかしらねー」
お母さんの顔色をうかがいながら、俊くんは、恐る恐るランドセルからテスト用紙を出します。それは見るも無残な30点のテスト。
お母さんは、それを見ると、カッと頭に血がのぼり、猛烈なスピードで口を動かしはじめました。
「まあー、なんてひどい点なの!俊くん、あなた、いったい何してたの!ちゃんと勉強しないからこうなるのよ!ちゃんと授業中に聞いてるの!」
一旦、開いたお母さんの口はなかなか閉じません。
「だから、いつも言っているでしょう。宿題はちゃんとやりなさいって。寝る前にちょこちょこっとしたってダメよ。この前も、ゲームやりすぎてたのでしょ。それにテレビばっかり見すぎでしょ。この前、40点とってきたときも言われたのに、まだわからないの!またボケーとして、ちゃんと聞いてるの!!」
はい、俊くんは聞いています。でも、まったく頭に入っていません。ただ嵐が過ぎるのを、身を縮めて待っているだけです。そして、頭の中で同じことを繰り返し考えているのです。
(失敗だった。失敗だった。馬鹿だった。やはりお母さんにテストを見せるんじゃなかった。)

これで俊くんが、よくなるでしょうか?「ならない」とどなたも思われるでしょう。これは、子どものやる気を削ぎ、子どもとの親子関係を悪化させる典型的な例です。

では、同じような状況で、もう一つの物語を展開させてみます。「感謝すれば、またいいことを教えてもらえる」という今日のテーマを盛り込んでみます。はい、スタート!

「俊くん、今日、テスト、返してもらった?」
お母さんの声にギクリとする俊くん。
「えっ、そうだね。でも、どうして知ってるの?」
「うん、なんとなくね。じゃあ、すぐお母さんに見せなさい」
有無を言わせぬお母さんの声にたじろぐ俊くん。
「あの、お母さーん、怒らない?」
「うーん、どうかしらねー」
お母さんの顔色をうかがいながら、俊くんは、恐る恐るランドセルからテスト用紙を出します。それは見るも無残な30点のテスト。
お母さんは、それを見ると、カッと頭に血がのぼりましたが、すぐには口を開きませんでした。母と子の間に沈黙の時間が流れました。
だいぶたってから、口を開いたのは俊くんの方でした。
「お母さん、怒ってるの?」
お母さんは、やっとテストから目を離しました。
「怒ってる?そうね、怒っているのかな。でもどういうのかな、悔しいのか、悲しいのか、よくわからない気持ちなの」
そして、俊くんの方に向き直って言いました。
「俊くんもこのテストもらったとき、いやな気持ちがしたでしょう。そんな気持ちよ、きっと。俊くん、ありがとう。お母さんに見せたくないテストを見せてくれて。お母さんは、俊くんが正直でいてくれることが何より嬉しいよ」
俊くんの目が涙でうるみました。
「お母さん、ごめんね」
「えっ?」
「ぼく、ちょっとさぼっていたと思う。もう少しやればできたと思うよ」
お母さんは、にっこりほほえんで言いました。
「そうね。俊くんなら、やればもっとできたとお母さんも思うよ」
すると俊くんは、この日いちばんの弾む声でこう言いました。
「うん、ちゃんと授業を受けて、きちんと宿題もしていれば、もっとできたと思うよ。この頃ゲームをやりすぎてたし、テレビも見過ぎてた。お母さん、何だか力がわいてきた。がんばるから、ボク。これからもっとがんばるよ、ボク!がんばるよ!!」


俊くんは、自分が口にしたことを忘れないでしょう。(しばらくは…)そして、自分で宣言したように、自分なりに努力をするでしょう。その結果がどうなるか、わかりません。でも、その結果をまたお母さんに見てもらいたいと思うでしょう。
これは、子どものやる気を増し、子どもとの親子関係を良好させる例なのです。
前の例とどこが違うのでしょうか。それは、お母さんの態度です。前の例では、お母さんは相手の非を責めてばかりでした。
でも、後者では、お母さんは責めませんでした。そのかわり自分の感情を伝えたのです。そして、わが子が正直にテストを見せてくれたことに感謝したのです。現実の世界でも、その違いはまったく違う結果を生むのだと私は考えています。