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教育における大人の役割

子どもを伸ばす指導

ここのところ、何人かの保護者の方から「もっと厳しい指導をしてほしい」というご要望をいただきました。それは、先生の指導に対して期待をしているということだと思いますが、私は子どもの教育における先生や親、つまり大人の役割はあまり大きくしない方がよいと考えています。それは、次のような理由からです。

勉強をするのは、子どもです。勉強を山にたとえれば、子どもはひとりで山を登っていきます。先生や親が先導して引っ張って登らせるのではありません。大人は、その山の先がどのようになっているか、おおまかな予測がつきます。場合によっては、その山を先回りして危ない場所がないかどうか確かめることもあります。しかし、山を登るのは子ども自身です。

先生や親は、後ろの方にいて、子どもにときどき声をかけてあげます。その声かけのほとんどは、明るく単純な励ましと賞賛です。そして、ごくたまに、子どもが危ない場所に迷い込みそうになった時には大声で注意をします。また、子どもが失敗して落ち込んでいるときは、近くによってじっくり話をしてあげます。 教育における大人の子どもに対する関わり方は、そのようなものではないかと思います。

具体的な教室での指導は、私の場合には、こうです。子どもたちが作文を書いているときには、ときどき声をかけます。「おっ、うまいなあ」とか「たくさん書いているね」などという単純な声かけです。 勉強以外でも、よいところはどんどん褒めます。「元気そうだなあ」とか「いいあいさつだね」などという声かけです。言葉に出さないときでも、常にそういう目で子どもを見るようにしています。そうすると、雰囲気が自然に明るくなってきます。 たまにルールに反したことをわざとやった子については、ぶっとばすこともあります(笑)。しかし、暗い叱り方はせずに明るく強く叱るだけで、すぐに切り換えるので尾を引きません。

作文の指導については、ほとんど、よいところを褒めるだけです。個々の作品や表現について、「ここをこう直したらもっとよくなる」というような細かい指導はあまりしません。ここが、一般に期待されている先生像と違うところだと思います。しかし、よくがんばっている子に対しては、たまに、これからの勉強の大きな方向をアドバイスします。実は、ここも一般に期待されている先生の役割とは違うところだと思います。先生が先導して子どもを引っ張って山を登っていくような指導ではなく、先生は後ろからついていって、たまに重要なポイントに来た時だけしっかりアドバイスをするという指導です。