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勉強の理解度を深める『美しいノート』の作り方

ノートをとる意味って?

ノートをとる意味って?

小2と小4の娘の家庭学習で、ある問題集を27マスのノートなどを使って、解かせているのだが、解ける、解けないよりも、そのノートの書き方にびっくりした。
問題集なので、問題番号が四角囲みや丸囲みであるのだが、そうした番号とその答えを1マスの空欄も設けずに、それこそノートびっしり文字を詰め込んで書いているのである。
算数のひっ算も、何か書いてはいけないもの書いているかのように、ノートの隅っこに小さく、しかも読み返せないほど乱暴に書いて、式と答えだけを大きくていねいに書いているのである。

本人たちは、びっくりしている私を不思議がるのであるが、私が子どもの頃って、もっと大胆に空欄だらけでノートを書いていたように記憶しているのだが、みなさんはどうだろうか。
どうやら、今の小学校ではノートの書き方というものを教わっていないらしいのである。

学校でノートってどうしてとるのか、改めて考えてみると、

1.新しくならったことを記録する
2.自分自身が手を動かして書くことで理解が進む
3.家庭学習などで復習できる
4.忘れたときに読み返すことで簡単に思い出せる
5.知識を整理することを学ぶ

などが思い浮かぶ。
ノートを利用して、見る、体(手)を動かす、読む、聞くなど、五感で学習することで理解が深まり、しっかりと記憶することができる。

一方、こうしたノートをとることを怠ると

1.「わかったつもり」や「理解したつもり」の事柄が増える
2.家庭学習などで復習できない
3.習ったことをすぐに忘れてしまう
4.テストなど問題を解くときに、書き方(解き方ではない)がわからない

ということが考えられる。その中でも、わかったつもりと、問題を解く書き方がわからないことの危険性が心配である。
今回は、「わかったつもり」にフォーカスしよう。

「わかったつもり」は、ノートをとらずに黒板を目で見ただけで、理解した、わかったと思ってしまうことである。つまり、頭の中だけで「わかった」と判断してしまうことだ。
でも、人間は体験を通してしか、「わかった」とは判断できないのだと思う。頭の中のシミュレーションで体験し、理解することは、大人にとっても難しく、ましてや子どもには無理なのだと思う。
したがって、ノートは、「わかったつもり」が本当に「わかっている」のかどうかを体験するツールなのだ。

算数の問題をノートにとる際、“どうしてそうなんだろう”という「?(クエスチョン)」を抱えて考えながら書くことができれば、問題を解く体験ができるわけで、その体験をとおして理解していく。
つまり、黒板を“見る”、なぜそうなるかを“考える”、ノートに“書く(体験する)”ことを同時にすることが大切なのだと思う。
この中の“考える”ということも当然重要である。“考える”ことこそが勉強であり、それを自分で体験する場がノートということであろう。